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偽物のわさび

日本の食の真実

わさびの種類

日本原産の食用植物であるわさびですが、わさびは北米での栽培が難しく、入手しづらいため、アメリカで食されているわさびはほぼ西洋ワサビ(ホースラディッシュ)とマスタードを緑色に着色した偽物です。

海外ならしょうがないと思う方もいるでしょうが、日本国内でも多くが偽物である事をご存知でしょうか?

皆さんはチューブのわさびを使用していることが多いと思います。
昔はS&B(エスビー)の粉わさびが家庭で主に使用されてましたが、その後改良が進み、現在ではチューブになりましたね。
スーパーに行くとチューブのわさびの商品が沢山ありますが、原材料名に「西洋わさび」と書いているのを気にした方はいませんか?
チューブのわさびはすべてデンプンなど増粘剤や着色料など添加した加工わさびなので、くら寿司に置いているような無着色無添加のものと比べると偽物ではあるのですが、それでも家庭で気軽に使える加工品としては気にはしません。

しかし、その中で辛さを増すために全く違うスパイスである西洋わさびが添加されているものも多いのです。
日本でのチューブわさびの表記方法は、西洋わさびと混ぜあわせた割合が原料中50%未満なら「本わさび入り」、50%以上なら「本わさび使用」としてます。

「えー!?」って思う人もいるでしょうが、最近まで日本たばこ産業の偽物の塩を気にしなかった人や、日本酒の7割は偽物のアルコール添加物なのに気づかずに飲んでいる人も多いので、日本人は食や味に対して結構無頓着で本物の味を知らないのでしょう。

だから偽物が本物のように売られてしまうのだと思います。
日本酒についてはまた違う機会とさせていただきますが、まずは日本人として恥ずかしくないように、わさびについて興味を持ってほしいです。

 

 

わさびの歴史

わさびについて、最古の史料は飛鳥時代(~710年)の遺跡から出土した木簡で、当時は「委佐俾三升(わさびさんしょう)」という言葉が当てられていました。

直訳すると日本(倭国)の助ける(佐・俾)青南蛮(山椒)?

奈良時代(710年~)に「山葵」に変わり、一部で薬用として使用され始め、平安時代(794年~)には和佐比とも記されてます。
室町時代(1336年~)に入ってから、現代のように薬味として使われるようになります。そして江戸初期(1603年~)、詳しくは慶長年間(1596~1615年)に安倍郡河内村有東木(現在の静岡市葵区有東木)の村人が、渓谷一面に自生しているわさびを採って、「井戸頭」という湧水地に試しに植え、わさびの栽培が始まったとされています。

 

 

徳川家康とわさび

静岡市葵区、つまり当時の駿河国(するがのくに)の国府駿府は、室町時代から今川氏が京を模して作った城下町で、京から逃れた公家も多く住み、「東国の京」として今川文化が栄えました。

また、駿府徳川家康が、今川氏の人質として幼少時代を過ごした場所で、1560年、桶狭間の戦い武田信玄駿河攻めによって、駿府は焼討ちに遭い一時荒廃しましたが、1585年に家康は駿府を本拠地とし、城下を整備し元の繁栄をとり戻しました。

その後、家康は江戸幕府を開き、再び駿府に戻り隠居したと言われており、駿府城に居住し大御所政治を展開した大御所家康公は、「駿府九十六箇町」と呼ばれる街区を整備し、人口12万人ともいわれ、上方(京・大阪)、江戸(15万人)に並ぶ大都市にしたそうです。

この時期、家康公に有東木の庄屋がわさびを献上したところ、その香りと独特な辛味を絶賛し、家康公のお声掛かりで有東木のわさびは門外不出の御法度品になったと伝えられています。
家康の策略だったのかもしれませんが、わさびは江戸で寿司やそばの普及と共に一般にも浸透していき、現在では寿司や刺身の影響により、世界中で「WASABI」として知られています。

 

 

今のわさび

最近のチューブわさびにも変化があります。
エスビーやハウス食品は、より本物のわさびに近づける研究をはじめ、加工品ワサビの中で西洋わさびやからしを使用しない商品が増えているいるようです。
栽培地も長野県など生産が増えているのでしょうか?
本わさび100%が増えているような気がします。