アメリカより強い日本のゲーム
アメリカのゲームメーカーと日本のゲームメーカー
今回は私の大好きなゲームの歴史について触れたいと思います。
1982年、アメリカのゲームメーカーのアタリ社を始めとする北米のゲーム売り上げは7500億円以上あったが、1985年には200億円に減少。(通称:アタリショック)
その頃日本では・・・
1983年任天堂ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)が出現し大ブーム。
1983年にセガ・エンタープライゼスがSG-1000を発売。
1984年にエポック社がスーパーカセットビジョンを発売。
1985年にセガ・エンタープライゼスがセガ・マークIIIを発売。
1987年NECホームエレクトロニクスがファミコンより高性能なPCエンジン発売。
1988年に16ビット高性能機メガドライブを発売。
1989年にNECホームエレクトロニクスがPCエンジンスーパーグラフィックスを発売したが、ゲーム開発側への対応が出来ておらず、発売ソフト総数6本となり失敗。しかし、同年にPCエンジンコアグラフィックスも発売していた。
1990年に任天堂が16ビット高性能機スーパーファミコンを発売。
1991年にはPCエンジンコアグラフィックスⅡも発売。そして同年、ゲームソフトメーカーが待ちかねた、映像・音声大容量化が実現!しかくCD-ROM2(シーディーロムロム)が発売!家庭ゲーム機の時代の変革をもたらした。
1994年にセガ・エンタープライゼスがCD-ROM機セガサターンを発売。遅れて同年、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation(プレイステーション)を発売。
現在の日本では携帯型ゲーム機での勝ち組である任天堂とソニーが家庭ゲーム機でも勝者となったが、ここで見れるアメリカと日本の違いは何か?
アメリカのようにならなかった第1の要因
何故、日本はアメリカのアタリショックのようにならなかったのか?
それは日本のゲーム機メーカーとゲームソフトメーカーの努力である。
ゲーム機メーカーはライバル社より上位の機種を開発する。
またこれはゲームソフト開発側の要望でもある。
より面白いゲームを作る為には、それを表現するゲーム機の開発が重要となる。
日本のゲーム業界を支えた第一の要因はゲームを作る人たちだ。
1978年タイトーから発売されたゲーム「スペースインベーダー」。
タイトーに影響されたコナミやナムコ、テクモが出現。
タイトーはシューティングゲームを続々発売。
任天堂はソフトメーカーとしてもマリオを中心にゲームを続々発売。
1980年、初の携帯型ゲーム「ゲーム&ウォッチ」を発売し、社会現象にもなった任天堂が多額の借金を完済し、その後日本のゲーム業界の中心を担うこととなった。
アメリカのようにならなかった第2の要因
日本のゲームソフトでもっとも多いのがドラゴンボールだ!
例えばファミコンは最初マリオやパックマン、ボンバーマンやロックマンなどオリジナルのキャラクターゲームが目立つ。
しかし、途中からキャプテン翼、らんま1/2、めぞん一刻、ガンダム、マクロスなど漫画・アニメのゲーム化が増えている。
日本はウルトラマン等のヒーロー・戦隊物、少年ジャンプを始めとした漫画・アニメ等がとても豊富なのでそれがゲーム業界を支えている要因でもある。
アメリカのようにならなかった第3の要因
最も大きな要因は第3の要因「クソゲー」である。
「クソゲー」は面白くなかったりバグだらけだったりするゲームのことである。
アメリカは訴訟大国と言われ、ゲームにバグがある度に訴訟、返品が起こりうる。
しかし日本では「クソゲー」を愛する国民性がある。
「わび・さび」
つまり「不足の美」を見出す。
クソゲーを「しょうがない」と笑って過ごし、バグを「裏技」といってゲーム雑誌に投稿して楽しむ。
「有野のゲームセンターCX」を見ればわかるだろう。
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