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世界最古の宗教?

インドでの話「バラモン教」「ゾロアスター教

様々な仏像

世界で記述のある最古の宗教はバラモン教と言われています。
バラモン教(紀元前1300年~紀元前900年)は司祭階級がバラモンだったので近代イギリス人による造語だそうです。
詳しくはブラーフラマ→婆羅門→バラモンとインドから日本に入るまでに名前が変わっていたようです。

バラモン教は古代ヒンドゥー教ともいうそうです。
アーリア人インダス川上流の先住民を征服する時に生まれたとされています。
もともとイラン-インド語(ペルシア語)派にあった民族宗教がもとになっているといいます。

古代ペルシア(イラン)で発展したのが善悪二元論ゾロアスター教ですが、のちにイスラームの台頭で消えていきます。
対し、インドではウェーダを聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝しました。
自然現象が神で、神を祭る事で災厄を避け幸せになれると考えていたそうです。

祭りはバラモンが最高階級で、その下が戦士・王族、農工商など庶民、奴隷となるカーストを作った。バラモン教の特徴は「五趣」、「五道」という輪廻思想です。
当時までインドで考えられていた「二元論」、つまり「人間は肉体と霊魂でできている」により肉体は大地にかえり霊魂は天界に昇り次の生が待っていて、次の宿るべき肉体は生前の行いによって霊位が上下するというものです。

それが繰り返されるという考えが「輪廻」です。
次に生まれ変わる「五趣」または「五道」は(天・人・餓鬼・畜生・地獄)です。
カーストはこの「五道」の思想を現世に持ち込んだもので、「いったんその階級に生まれてしまうと、死ぬまでその境涯から逃れることができない」という考えで、「バラモン教を熱心に信仰し、徳を積むことで、次の人生では上位の境涯に生まれ変われる」という考えもありましたが、奴隷やカーストにも入らない者にはそれもなかったそうです。

カーストでは階級の違う者との結婚はできず、一生その階級で生きなければ行けないという極めて不平等なものでした。
アーリア人がさらにインドの南まで定住化し、先住民との農業や商工業が進むと、カーストの考え方は生活スタイルに合わなくなってきます。
カーストのような救いのない不平等の考えに疑問を抱いたブッタやマハーヴィーラが仏教(紀元前450年~)やジャイナ教(紀元前500年頃)を説き、ブラフマーを唯一最高神としシバ神、ビシュヌ神のヒンドゥー教も生まれた。

つまり、今ある宗教はもともと支配者が絶対的権力を誇示する為に作り上げたものに対し、疑問を持ったものが庶民の為のものに変化させたものだと言えるのかもしれません。

 

 

私たち日本の仏教とは?

仏教は釈迦族の王子ガウタマ=シッダールタが出家し悟りを得たブッタの1人となり創始された宗教です。
後に「自分が救われるために修行し悟りを得る」という考えのオリジナルの仏教・上座部仏教と「大勢の悩める人々を救うべきである」という考えの大乗仏教に分かれます。

仏教ではバラモン教の「五道」の考えに修羅を加えた六道(天・人・餓鬼・畜生・地獄・修羅)の転生先に生まれ変わるとした。
「前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻で良い転生が出来る」と説いたものだ。

さらにバラモン教の説いた「天界に転生」に対して、例え天界に転生してもやがて寿命で苦しみ死ぬと仏教では説いた。
天人五衰」という、六道最高位の天界の天人であっても長寿の末に迎える死の直前の5つの兆しがあり5衰苦悩は免れないと説いている。
釈迦の上座部仏教では「出家して厳しい修行を積んだ僧侶だけが悟りを開き救われる」という考えがあります。
その為タイやカンボジアなどではお寺で修業をする子供たちが多いというわけです。

釈迦の没後もしばらくこの考えが続いたのですが、この考えでは出家しないと救われません。
そこで「釈迦はすべての人々は平等で救われる」と考えていたはずだという思想が生まれ、大乗仏教が誕生しました。
大乗仏教においては多くの修行僧である「菩薩様」や「お地蔵様(地蔵菩薩)」が苦悩する人々を救った。
これが飛鳥時代552年、日本に伝わってます。

このように何となく仏教が見えたのではないでしょうか?
日本が世界でも一番平和な宗教感を持っていると言われているのは、神様が一番という考えではなく、自分だけが救われるという考えでもなく、宇宙が存在し、その中に神や私たちがいるこの世の中で他人を救いたいという大乗仏教の考えが影響しているのかもしれません。
大乗仏教の伝記の中には遊女、つまり風俗嬢もいるのが興味深いです。
特にお金など欲や煩悩があるわけではなく、生まれ変わった菩薩様の職業や人を救う形は千差万別。
風俗嬢として生きることも修行であり人を救うことだという考えもあるのですね。