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お好み焼きは江戸発祥

もんじゃ焼き

粉物いろいろ

粉物いろいろ

もんじゃ焼きと言えば東京中央区の月島ですよね?
小麦粉に水を溶いて刻んだキャベツなどを入れて鉄板で焼いて昔東京下町では駄菓子屋の奥に焼き場があって、子供たちがもんじゃ焼きを作れたと、こち亀で読みましたが、私たちの世代ではもんじゃとお好み焼きのお店に行って、ベビースターもんじゃとか餅明太チーズもんじゃとかカレーもんじゃとかを注文して、土手を作って焼いてから残りをそそいで堤防が決壊しないように焼いて最後に大きなコテで混ぜて、小さなコテで押して焦がして剥がして取って食べる。というものでしたね。

自分の陣地みたいなのがあって、コテで好みに焼いて食べる楽しいおやつですね。
私は子供のころからお好み焼きしか知らなかったので、学生になって初めて友人ともんじゃを食べて、お好み焼きよりも楽しくて、香ばしくて美味しいと心から思いました。

 

もんじゃ焼きの元祖、文字焼き

もんじゃ焼き北斎の絵など江戸時代には既にあり、当時は記事で文字を書いて遊びながら焼いたことから、文字焼き(もんじやき)と呼ばれた。
もんじゃは文字(もんじ)が訛ったとされている。
日本における粉物料理の元祖は、安土桃山時代の「麩の焼き」であるとされる。
巻いたお菓子なので仏事用菓子として使われ、千利休も茶菓子として出していたようです。
もんじゃ焼きのルーツというより和菓子やどら焼きなどのルーツといった感じだ。
小麦粉を水で溶いたものを鉄板にたらして文字の形に焼く。
子供の遊びとして江戸ではやり、鉄板で遊びながら焼いて食べるスタイルの元祖とされています。
つまり現在のいわゆる「粉物」の発祥は江戸ということになる。
現代でどら焼きや八つ橋を「粉物」とは誰も言いませんよね。和菓子です。

 

もんじゃ焼きどんどん焼き

柔らかいもんじゃ焼きを屋台で販売するために粉の分量を増やした。屋台がドンドンと太鼓を鳴らして販売していたり、どんどん焼いて売ったからどんどん焼きという。お好み焼きの原型となるものの他、焼きそばの原型となるものや群馬の焼きまんじゅうのようなものなど屋台の鉄板で焼いたものは全てどんどん焼きと言っていたようだ。群馬県桐生市B級グルメ、ジャガイモのソース炒め「子供洋食」もどんどん焼きと言える。

 

どんどん焼きお好み焼

大正7年の読売新聞の記事にお好み焼きという表現があり、昭和初期に東京の銀座を中心にお好み焼きが広まっていったようです。
同時期に大阪でも高級洋食として銀座同様のお好み焼きが広まったそうです。
戦後、ネギからキャベツとなり現在の大阪風お好み焼きになり大阪の庶民の食事としてどんどん焼きの定番である焼きそばとお好み焼きが食事として大阪に定着したようです。多分これが、東京ではお好み焼きはおやつ。大阪ではご飯のおかずという違いではないかと思うのです。

 

一銭洋食→広島風お好み焼

一銭洋食とはもんじゃ焼きから屋台用に改良された、溶いた粉を引いて上に具材を乗せてソースを塗って焼いたものです。
当時1枚一銭で売られていたので一銭洋食と呼んでました。
現在どんどん焼きと一銭洋食のどっちが先かが不明だが、もんじゃ焼きからのもので、この乗せ焼きが現在の広島風お好み焼きだと言われている。

 

大阪風お好み焼きと広島風お好み焼

戦後、東京で鉄板で焼いてその場で食べるおやつとして広まったもんじゃ焼き、そしてお好み焼き。戦後の食事として大阪に定着した大阪風お好み焼き。大阪のお好み焼きの影響を受けずにもんじゃ焼きから派生した一銭洋食という載せ焼きを発展させた広島風お好み焼き。全て東京のもんじゃ焼きが元祖だと知って驚きました。

テレビでよく広島の人が広島風とつけるな!とか大阪の人がお好み焼きは大阪が元祖!とか広島VS大阪 とやってたので、どっちも美味しいからどっちでもいいよ!と思ってましたが、お好み焼きは東京が元祖だと知ったので、これからは「大阪風お好み焼き」、「広島風お好み焼き」と呼ぶようにします・・・・・。